一流の人と、普通の人の違いって?

一体何が違う?一流と呼ばれる人達にそなわっているものとは?

1.手順の説明

以下において、「GRIT~やり抜く力」の「一流の人は“当たり前のこと”ばかりしている」の要約を行い、それについて批評します。
まず順を追って要約し、必要ならば補足します。

次に重要ポイントを1、2点絞ってピックアップし、それについて自分の視点からコメントし、批評していきます。
主張は論理的に行い、必要に応じて証拠をつけて説明し、最後に全体を要約して結論づけ、まとめていきます。

2.本節のまとめ

新聞などでスポーツ、ビジネス、政界、俳優、音楽家等、「才能」という言葉を見聞きしない日はなく、世間はその人を「並外れた才能の持ち主」としてあがめ、才能を過大評価する。
それはほかの全てを過小評価してしまう。極端な場合、「才能」が「達成」に直結していると考える。

『一流の人は“当たり前のこと”ばかりしている』
競泳の選手を対象としたハミルトン・カレッジの社会学者、ダニエル・F・チャンブリスの研究論文「一流のひとたちが行っている当たり前のこと」。
これには、「最高のパフォーマンスは、無数の小さなスキルや行動を積み重ねた結果として生み出され、その一つひとつは、特別なことや超人的なところはないが、それらを継続的に正しく積み重ねることによって生じる相乗効果により、卓越したレベルに到達できる。」と書かれている。

一流のアスリートには生まれつき特別な才能が、まるで体の一部のように備わっているのに対し、ほとんどの人はそれを享受できず、肉体的にも、遺伝的にも、心理的にも、生理学的にも決定的な違いがあると思っている。

常人の域をはるかに超えたパフォーマンスに圧倒され、それがすさまじい訓練と経験の積み重ねの成果であることが想像できないと、「生まれつきの才能がある人」と決めつける。

3.疑問に思ったこと

「常人の域をはるかに超えたパフォーマンスに圧倒され、それがすさまじい訓練と経験の積み重ねの成果であることが想像できないと、何も考えずにただ”生まれつきの才能がある人”と決めつけてしまうのだ。」

この文を重要ポイントとしてピックアップし、下記に疑問を示します。

「”常人をはるかに超えたパフォーマンス“をみせられると、その裏の努力などは全く見えないのは著者の言う通りだ。
その時、人は無意識に自分と“その人”を比べてしまっているのではないか。
“私にはできない”と、その努力を認めるよりも、才能だと認めてしまったほうが楽だからということはないだろうか。」

4.学びをどう生かすか

東洋経済オンラインに下記のような記事がありました。

アルフレッド・アドラー※は「人間には“優劣性の欲求”という普遍的な欲求がある」と考えた。
これがうまく満たされないと、劣等感というものを感じるのだが、それが人間のパワーになると考えた。

(『“他人と比べない生き方”では幸せになれない』より 2015年6月17日)

アドラーは『勇気づけ』といって、劣等感を抱く際に、やれば出来るはず、と思わせることの重要性をといています。
つまりアドラーは人間には本来、“優劣性”を持つことを欲求の一つとして持っていると述べています。
他人と比べ、常人を超えたパフォーマンスを見せつけられても、その瞬間に”自分にもできるはず“と思うことが重要だと述べています。

この前提として、アドラーは「生まれつき持ちあせた才能」には目を向けていないと考えられます。

また面白い例も載っていました。

ロバート・パーカーという、世界一ワインの価格に影響力を持つワイン評論家は、ソムリエでもない、それほど一流とはいえない弁護士であった。
しかし世間で一流と言われているワインが、自分が飲んでまずいと感じたことに触発され、これまでの格付けに捕らわれない、自分の舌にあうワインに高い点をつけて評価した。
かくして自分の取り柄を信じることで、世界一のワイン評論家の地位を勝ち得た。(途中略)

この例のように、それまでの経験等を知らない人がみたら、「才能があったのだ」と言ってしまうかもしれません。
しかし、最後の文にもあるように「自分の取り柄を信じること」で、このソムリエでもないロバート氏は世界一までのぼりつめたと言えます。
これを「才能」の一言で片づけてしまうのは、あまりにもお粗末で、著者のいうように「何も考えない」で判断してしまっているのではないでしょうか。

普通であれば、多少美味しくなくても、「そうか、これが美味しいのか」とまずは自分の舌を疑ってしまいます。
そうではなく、自分のやりたいこと、自分の力を信じることが大切なのです。

人と比べるのは、人間として普遍的なこと。
でもその瞬間に相手の「才能」を信じるのではなく、自分にはできないと自己否定に走るのではなく、
自分にもできるのではないか、やってみたら面白いかもしれない、という思考の方向変換をすることができたら、今まであきらめていたことでも、新たな道が開けてきます。

私自身、教員のころ、初任なのに授業がうまい友人をみると、「あの人は才能があるんだろうな」と指をくわえてみていただけのころがありました。
しかしその友人も、学生時代からの努力があったのです。
学生時代に私がしていなかったことを(例えば、学生の頃から先生たちの前で模擬授業を頻繁に行う、講習会等で大勢の前で話す等)、こちらからはみえない努力をしていたのです。

しかしその友人も、教員になって年数がたつにつれ、日々の忙しさに追われ、模擬授業等を行わなくなっていったとき、その授業力は驚くほど落ちていました。

その時思いました。
「才能」だと思っていたのは、努力の賜物であったのだ、と。

それ以来、私も才能には目を向けることはなくなり、出来る限りの努力を始めました。
子ども達にも、自分の経験談として話をしました。

誰もが通る道だと思います。
だからこそ、一人の大人として経験したことを自分の言葉で伝えていくことができる。
それが可能なのは、それがちゃんと伝わるのは親と教師が一番身近で、一番話しやすい存在だからだと言えるのではないでしょうか。

5.まとめ

この本を読み始め、「才能」という言葉が人間は大好きなのだと知りました。
「私にあんな才能があれば…。」
そんな風に思ったとしても、そうやって人とくらべたとしても、「でも自分でもやればできる」「ちょっと挑戦してみたいな」とその瞬間に思うことができたら、
それだけで、今までの劣等感のかたまりでいるより、よっぽど幸せだし、何かしら得るものがあるのだと思います。

【参照】

※アルフレッド・アドラー
『嫌われる勇気』はアドラー心理学を解説した書籍。
自己啓発の元祖とも言われる。カーネギー、ロジャーズ(カウンセリングのパイオニア)、バーン(交流分析の考案者)に影響を与えた人物。

■ 執筆者情報
森田 恵 【元小学校教師】
子どもが好きで、彼らをより笑顔にしたいという思いを抱き、教員を目指す。しかし、挫折。あまりにも上手くいかないことばかりで退職を考えるも、奮闘し、次第に毎日が楽しく、子ども達からも「先生大好き!」と言われる日々を送るようになる。そんな小学校教員時代の経験をもとに、学校現場での悩みを持つ人に役立つことを伝える活動を行っている。現在は海外に移住し、子ども達に日本語を教え、日本の文化を伝える活動を行っている。また現地校で日本の教育との違いを学び、それを日本の教育に活かす方法や感じたことを日々発信している。