評価基準が人の成長を加速させる?!~前田康裕先生へのインタビュー 第3弾~

学校はどのように変わっていくべきなのか?

 <Profile>

熊本大学教職大学院 准教授
前田 康裕 氏

1962年、熊本生まれ。熊本大学教育学部美術科卒業。岐阜大学教育学部大学院教育学研究科修了。
公立小中学校教諭、熊本大学教育学部附属小学校教諭、熊本市教育センター指導主事、熊本市向山小学校教頭を経て、2017年より熊本大学教職大学院准教授。『まんがで知る 教師の学び』(さくら社)他著書多数。

(1) 資質能力を育てるにはどのような授業が求められるのか?

~教師の役割とは?~

後藤
リアルな学習課題を作るための教師の役割って何ですか?
前田先生
2つあると思います。

1つは教科によって、やりやすい教科と、やりにくい教科があると思います。
例えば総合的な学習や美術は比較的社会に役に立つものを創りやすいですよね。
英語も実際に留学生と会議しようとすれば、リアルなものになってきますよね。

前田先生
でも、例えば数学なんかは即、役に立つかというと、役に立たない部分も結構多くて。
二次方程式が社会ですぐに役に立つかというと、役に立たないじゃないですか。
数学って小さいところから系統的にやっていかないと分からないし。
でも結果的には、数学で身についた論理的な力といったものがベースにないと新しいものを生み出せない。

だから数学などの教科は本当は必要なんだけども、すぐに社会につながらない内容も多い。
だとするならば、方法としては先生が『数学の面白さ』みたいなものを感じさせたりする工夫は必要ですよね。

前田先生
もう1つは、その教科によって得られる力や学習の意義などを教える必要はあると思うんです。

そこはやはり教科を専門とする教師の役割です。
ただ単に「高校受験でこれがでるからやれよ。」っていう話ではないんですけど、でもついつい言っちゃうんですよね。先生っていうのは。

たぶん好きだからその教科を教えてる。
例えば社会科の先生って、社会科が好き。

だから社会科が苦手な子の気持ちがよく分からないんですよね。

前田先生
そんな先生が、いきなり社会の内容的な話をわ~と話しても、
好きな子はいいけど、嫌いな子はさっぱり分からない。

例えば歴史が大好きな先生が、「鎌倉時代はね!こういう話でね。」って話しても、歴史が苦手な子は鎌倉だろうが平安だろうが全然分からないんです。
「源頼朝がどうした」とか話しても、ちんぷんかんぷんなわけですよ。

だから本来、その『教科の意味づけ』をしたり、「その単元を学習をすることによってどういう力が得られるのか?」ということを
子どもに教えるのが先生の役割だと思います。

~評価基準を作る~

前田先生
この本の中にも桜山先生が5つの学習者の教えをもとにして、評価基準をつくる話があるんです。

その場面が、「ポスターのデザイン」の授業のところです。
評価基準を提示して、「こういう力をつけましょうね。」と言っているところがあるんです。

これって「ポスターの作品をただ作ればいい」ということだけではなくて、一番下のところに書いてあるんですけど、
『主体的に作品を作り、喜びを味わう』とか、『人と積極的に対話し、見方を深める』というのが、あるんですね。

 

前田先生
「ポスターをただ作ればいいんじゃなくて、対話も大事だよ。」ということを言っているわけです。
こういったことを子ども達が、「ただ作ればOKじゃないんだな。」「対話をすることによって見方を広げたりすることが大事なんだな。」ってわかって学習する場合と、分からずに学習する場合では全く意味が異なってくるんです。
こういった基準が大事なんです。

~評価基準を作る難しさ~

後藤
「評価基準を作りましょう。」といった時に、この視点がでてくるかどうかというのは、すごく難しくないですか?
前田先生
難しいですよね。
だからそういう評価基準を自分で作った経験がない先生は、すぐには作れないです。
なぜなら子どもの言葉にしないといけないじゃないですか。

でも、このように評価基準があると、子ども達は4人組で話し合いをしながら、ポスターの良さをどんどん深めていくことが出来る。
たぶん、以前だったら桜山先生は作って終わりだったと思うんですよね。

後藤
文字として人と対話して見方を深めるっていう一見、一般的に思う美術とは違うものじゃないですか。
この評価基準の項目は思い浮かんでここに記入できるかというのは、すごい神業というか…プロ的な話ですよね。
前田先生
そこは本当にすごく大事な話なんです。
そこに繋がるのが、本の51ページに書いてあります。

ここに三つの柱というのがあります。
下から行くと、「知識・技能」ということが、美術でいうと、色や形をつかってポスターが描けるということ。

その右側の『未知の状況にも対応できる「思考力・判断力・表現力」』と言った場合は、
「どういう表現をするとポスターは効果的なのか」
「どういうキャッチコピーをとればいいのか」
「そもそもどういうポスターを作ればいいのか」
というのがここに当たりますね。

前田先生
一番上の、『学びを人生社会に生かそうとする~』と書いてある。
だから、「ポスターを社会に生かしていこう」「実際に社会をよくするためにどういうポスターがいいのか」と考える。

あるいは『「人間性等」の涵養』という部分では、自分でただ単純に作ればいいってことではなくて、みんなと協働していく。
4人で話し合いをして、4人の作品として作っていこう。

そのためには、相手の意見も聞かなくちゃいけないし、自分の考えもみせなくちゃいけないし、お互いに良い批判を繰り返しながらブラッシュアップしていこう。
その中に相手のアドバイスに感謝したり、あるいはアサーティブ(相手を傷つけないよう)に言ったり。

そういったことがすごく大事になってきます。
ここに人間性の涵養の部分がある。

前田先生
その柱になるのがこの3つになります。

評価基準をつくるためには、この3つがちゃんとわかってないとつくれない。
52ページにはこの学習の基盤となる力に『言語能力』と『情報活用能力』と『問題発見・解決能力』、
そういったものが全部の教科に通用するんです。

美術だとしても、話し合ったり、キャッチコピーを考えたりといった言語能力がいりますよね。
情報活用能力にしてもタブレットを使って写真を撮ったり、編集したり、発信したりする力が必要です。

前田先生
問題発見能力については、そもそも何が問題なのか。
町のPRするためには何が大事なのかという部分。
本の方では爪込君が、観光地に行って写真を撮ろうとして、「橋ってなんかありふれてるよね。」と言います。

確かに観光客はみんなそこに行くから面白くない。
「じゃあ何が良いんだろうか?」って考える。
そういう問題を発見して解決していく力といったものも、教科を横断してやっていくので、
「そういったことを身につけていきましょう。」という話なんですよね。

前田先生
だから「学習を設計していく」というのは、
そういった『理念的なこと』と、『必要な資質・能力』が分かってないと、作れないんですね。
ちゃんと前の方と後の方が繋がってるんですよ。
後藤
これ自体は、学習指導要領に「こういうことだよ」といったモデルみたいなものってあるんですか?
前田先生
例なら載ってます。
例えば、この本にも書いてありますけど、デザインの『ピクトグラム』の学習がありますよね。

ピクトグラムの単元は、その制作そのものが目的じゃなくて、ピクトグラムを作るという活動を通して、
さっきの3つの力がつくように、と例があげられています。

(2) 教師はどうアップグレードすればいいのか?

前田先生
ところが桜山先生が指導要領をよく読んでいなくて、最初はとりあえず作ればいいんだと思っていたんですね。

そうすると当然、作品主義というか、作品の良し悪しで紹介されると、
作品が得意な子はずっと得意なので評価されますが、苦手な子は常にずっと苦手で、全く育っていかないんですよね。

そういういことって、今まで多かったんじゃないかなって思います。

後藤
そう思いますね。
前田先生
だからやっぱり得意な子、不得意な子が出来ちゃう。
格差が開いたまま、学年が上がっていってしまう。
後藤
僕なんて、人前で絶対に絵なんて描かないです。
前田先生
やはりそういう力や自信は育たなかったんだと思います。

私は体育が苦手だったので、体育は本当にボールを握ったら全部前に落としていたので。
それで先生からすごく叱られてて。
そういったのも、スポーツで知識や技能的なものばかりだとそうなっちゃうんですよね。

後藤
そっか。
前田先生
技能の向上を目的にしてしまうと、技能の方が生まれつき出来ない子はつらい。

だから相対評価でやってしまうと、そういう子がでてきてしまう。
だから例えば、勉強の始めの段階と後の段階ではどのくらい伸びたのかという形で、前の自分と後の自分で比較すると、
「あ、前は50m走を10秒で走っていたのに、今は9秒で走れた。」「一秒縮んだんだ。すごいね!」という形で、プロセスを評価できますよね。

そういったことが今、学習指導要領では言われているんですよ。

後藤
へぇ~。
いいですね。
前田先生
だから学習評価の充実ってすごく言われているんです。
漫画の中でも「校長先生が竜南先生と桜山先生に学習評価やってよ。」って言われてます。
後藤
そういうことなのか。
前田先生
校長先生に言われて、竜南先生と桜山先生が、「私もですか?」と驚くというシーンがあります。
あれは、要するに…テストや作品で評価した方が速いからなんですよ。
後藤
そうですね。
前田先生
途中評価しなくていいので。
だから形成的に評価しようとすると、毎回振り返りを読んだり、ずっと見て回って、どれくらいできているか等を確認しなくちゃいけない。

ある意味、面倒臭いんですよね。
面倒臭いんだけど、「そこをやらないと資質・能力って伸びませんよ。」という話なんです。

後藤
それなら僕も学校行きたいなと思いますね。
前田先生
ありがとうございます。
でも、優秀な教師はそれを勘でやってる人が多いと思います。

自分の理念として。

だからスポーツ指導なんかでも、本当に運動を好きにさせてくれる先生というのは、
運動が苦手な子たちにとっても楽しいような仕組みを考えたり、そういう褒め方をするんです。
ここはすごく重要なところだと思いますね。

後藤
えー。
いいなぁ。
僕がやっぱりスポーツがあまり得意じゃないし、好きじゃない。
絵を描くのもヤダなと思うのは、やはりそこになりますよね。

描いた結果、「なにこれ?」って言われた一言だったりとか。
それは非常に思うな。
だからそれをすると「なんでうちの子、こんな成績なんですか?」って言われたときに、答えづらい部分ってでてきますよね。

前田先生
出ますよね。
それはあります。

美術の場合、本当に厳密に形成的評価をしてきたとすると、全員がよくなるじゃないですか。
全部の作品が。

ただ現実的には相対評価的なことも入れざるを得ないんです。
知識、技能的なところで、差はどうしてもでますよね。
さっきの意欲的なこともそうですけど。

前田先生
だから本当に美術が好きで、真面目にコツコツとやっていける子たちと、最初から投げやりにやっている子たちとは同じにはできない。

投げやりの子たちもそれなりにきちんと喜んでできるようにするのが教師の役割です。
でも「評価を全部一緒にするか」というと、そうではないってことです。

前田先生
『総括的評価』って言うんですけど。
「最終的にやっぱりこの子の美術の分野がすごくいいね。」と。
才能も有れば、努力もしているという子たちをもっと伸ばすためにも、高い評価をつけるというのはすごく大事なことです。

全部一律で最終的な評価が100点だったら、逆にやる気をなくしちゃいますよね。
そういうバランスは非常に難しい。

後藤
面白いな~。

なんかいいですね。
上手いヘタというよりは、最低限嫌いにならないのがいいですね。
どこでチャンスが訪れるか分からないから。
例えば、絵の具を使って描くのは苦手だけど、タブレットで描くのはすごく得意だって子は出てくると思うんですね。

前田先生
そうそう。出てきますね。
だからいろんな評価基準があった方がいいと思いますね。
色んな単元の中に、「今日はこういう評価基準でいきます。」といったことがちゃんと分かっていれば、子ども達はそれに合わせてやってくれると思います。

~受験と普段の評価の兼ね合い~

後藤
それを各先生がそういう形でやっていった時に、結果的に中学校では受験というものに出くわしちゃうじゃないですか。
そこって何かで統合していかないとまずくはないんですか?
前田先生
統合っていうのは?
後藤
何か評価基準がちゃんと「みんなが同じだよ」とならないとまずくないんですか?
要は点数だけでつけると変わらないですよね、評価は。
前田先生
そうですね。
後藤
僕が例えば「80点取ってます」となったら、違う学校で80点取ってる子はだいたい同じ成績じゃないですか。

それが「プロセスもみますよ」となってくると、伸び率といった話も出てきますよね。
そうなってくると、Aという中学校に通っている子と、Bっていう中学校に通っている子がいて、先生が違った場合に若干評価が変わってきますよね。

前田先生
変わってきますね。
後藤
そういう時に、それって受験となると、それを受け入れる合否を決める側としては、見た目の評価で一旦は付けないといけない部分が出てくると思うんですよね。
その時ってどうなんでしょう?
前田先生
受験の場合は、点数化できるじゃないですか。
だからそういった意味では同じ問題を出してどれくらいの差があるかっていうのはやりやすいですよね。
そういった意味では受験に関しては、評価基準ていうのも、テストの点数っていうものではっきりしているので。
後藤
一発試験ですよね。
前田先生
一発でも二発でもいいんですけど、そういったものがはっきりしているから、そこはそんなに難しい話じゃないと思いますね。
後藤
高校受験が、自分もやってみてあまり好きじゃなくて。
大学受験の方が好きなんですよね。
要は大学受験はインフルエンザにかかったとかはあるかもしれないですけど、要は一発じゃないですか。
それでその時の、出来たかできないかで合否が決まるじゃないですか。
特に普通に推薦ではなくて受験をする時はそれまでのプロセスって、ないようなもの。
後藤
その方が僕は公平だと思っているんです。
受かった受からなかったというのも分かりやすいじゃないですか、自分の中で。

だけど、高校受験って内申がどうのとかがあって、それが先生に子ども側が気を遣っちゃって、自由でいられないっていうか。
それをあまりいい言い方じゃないけど、「そういったものを盾にしている先生がどうしてもいるんじゃないか?」という疑いの目で子どもは見てしまう部分ってあると思うんですよ。

前田先生
そういう先生も現実としているかもしれません。
後藤
「ちゃんと話を聞かないと、内申書を悪くするぞ。」みたいな。
前田先生
そうそうそう。
いるでしょうね、そういう人も。
それはやっぱり教師側の問題だと思います。
後藤
なんかその辺が、結構ゆがむ部分なのかなって思います。

特に埼玉だと、『北辰テスト』というのがあって、中学2年生の後半くらいから受けに行かないといけないんですよね。一般企業の試験校に。
それの一番いい点数の証明書をもって受験しに行くっていう、わけわかんない制度があって。
ある意味それって、「企業のためにやってるんじゃないですか?」という疑いの目で見てしまうんです。

前田先生
基本的には人間の能力を測るには限界があって、いろんな条件をどこかで統一しないと出来ないのだと思います。
「そもそも国社数理英っていう5教科でやるっていうこと自体がどうなの?」っていうところもあるじゃないですか。
後藤
はい。
前田先生
「それでいいの?」
「もっといろんな能力ってあるんじゃないの?」って思うのが普通ですよね。

でも「学力に関してはその能力でいこう」って1つのルールで動いているわけなので、そこはそういった統一は必要でしょうね。
あとは、要は学校はどう変わるべきかっていうことなんです。

~授業観のアップグレードのために必要なこと~

前田先生
私は常々学生さんに言っているのは、「自分が受けてきた授業を疑ってかかろう。」って話をしているんですね。

そうしないと、若い先生は自分が受けてきた授業をそのままやってしまう傾向があるんです。

前田先生
例えば社会の先生だったら、自分の学生の頃の社会の先生の話が面白かったという経験があったりします。

戦国時代の話とかすごく好きで、社会の先生がずっと語ってくれて、僕はその話を聞くのが楽しみだったんだ、といった経験です。
そうすると、「ああいう先生になりたい。」って思って、社会の先生になった。

その時のすごく大事な視点があるんです。
その人が教師になって、「これからどうやって社会の授業をやろう?」ということです。
社会科が好きだったあなたはそれでもいいかもしれないけど、社会科が嫌いだった他の生徒たちは自分の前の好きだった先生の指導をそのままやった時に、授業として本当に成り立つのかどうか。

社会科が大好きな生徒にとっては、そういう講義型の授業がいいかもしれない。
でも、大嫌いな子ども達にとっては、それはいい授業とはいえないんじゃないかと思うんです。

だから自分が受けてきた授業を疑ってかかってみて、「本当にそれがいいのか?」「もっと新しいやり方があるんじゃないか?」
ということを常々考えていかないと、さっきいった資質・能力的な力は伸ばせないなと。

前田先生
本当にすごく話が面白くて、歴史の話を面白おかしく話してくれて、それを聞くだけでも「ああ、面白い!」っていう授業もあると思うんです。

でも、子ども達が新しい状況に遭遇した時に、その歴史、例えば「なぜ鎌倉幕府は滅びたのか?」とかいう問題が出てきた時に、ずっと話を聞いているだけの子ども達だったら分からないじゃないですか。
自分で調べられないから。

前田先生
そうすると自分達で調べて考えてやっている子たちは、それを自分で解決する力が身についているんですよね。
仮に先生がそんなに話下手だったとしても、常に先生が子ども達に考えさせている授業の方が、子どもの力がついてくるということはあると思います。
前田先生
例えば、「さっきの鎌倉幕府が滅亡した理由について、3人グループで調べて発表しましょう。」
あるいは「鎌倉幕府が成立したころから、鎌倉時代の文化や御家人と将軍の関係とかいったものをグループに分けて調べて発表しましょう。」といった時に、
それぞれ役割分担をして、「こういうふうになっているんだな。」って調べて発表していけば、そのプロセスの中で子ども達は学習内容を理解し、自分達で調べて発表する技能を身に付けていくんです。

そうすると、今度は「鎌倉幕府が終わって、室町幕府はどうだったんだろう?」って、
あるいは「江戸幕府はどうだったんだろう?」って、「どういう関係だったんだろう?」と今度は自分達で調べられる。

そういう力をつけていかないといけないのであって、先生がいくらパフォーマンスが巧みであったとしても、もちろんそれは悪い事じゃないし良いことなんだけど、
それを常にやっている授業だったら、子どもたちに力はつかないんじゃないかと思いますね。

後藤
あーそっか。
前田先生
だから、やはり教師が変えなくちゃいけないし、後藤さんがおっしゃったように内申書を盾にして子どもにシールを与えるみたいなのはもう最悪ですよね。

何を目的にやっているのかを分かってないので、その先生にとっては。
高校受験のためにやっているのか?っていう話ですよね。
そうすると受験が目的になっちゃうので。

後藤
そうですそうです。
前田先生
そうすると「受験が終わったら忘れてもいい」って話になりますよね。
それってよくあるじゃないですか。

大学受験も丸暗記でやって、大学受験が終わった瞬間に忘れてしまうパターン。
結局受験が目的になると、学習内容は目的を達成したらどうでもよくなっちゃう。

前田先生
そうじゃなくて「その学習内容というのはすごく君たちにとって意味のあることなんだ」ということを先生が教える、子どもが分かってそれを解いていく。

そして振り返りながら、自分の学習はどこがよくてどこがまずかったのか。
次はどう生かしていくのか。

そういったことが考えられるようになれば、新しい問題が出てきた時に、それに答えられるようになると思うんです。

前田先生
そういう授業の仕方をしていかないと、教師の仕事っていうのは、話が上手だとか、説明が上手っていうことだけだったら、「映像で配信する予備校の授業の方がいいや」という話になりますよね。

先生の立場で言うと子ども達が学んでいけるような、
力をつけさせるような授業観に変えていかなくちゃいけないということです。

~教師のパフォーマンスから学習者の学びへ~

前田先生
最近よく言われるのが、「教師が教える授業から、学習者である子ども達が学ぶ授業へ」ということです。

この本の1巻目の中で子ども達がポスターについて調べたことを発表するシーンがあるんです。
自分達でポスターの特徴を見つけていくので「良いポスターっていうのはこういうところがいいよね。」と、そういうことを子どもが言うわけじゃないですか。

前田先生
例えば「色が大事だよ」とか。
先生が「ポスターを作るには色が大事です。」って最初に教えちゃうと一瞬で終わる。
すると子どもは気づかないですよね。
後藤
そうですよね。
前田先生
要するに、子どもたちが気づいたことを教師がちゃんと受け止めていくという形の授業にしていかないと、子ども達の学習は成り立たない。

よくありがちな授業としては、先生が「はい、分かる人?」って聞いて、わかる子が手を挙げて答える。それが先生の思っていたこととぴったり一致したら先生が黒板に書く。
一致していなければ、「あーなるほど」っていったまま頷いているだけ。

前田先生
そういった時に、聞いている子たちは、他の子が手を挙げて言ったことを聞けばいいだけなんですよ。
自分は考えなくてもいい。
結局同じことなんですね。
前田先生
先生が説明している授業と、手を挙げている子たちが言っている授業というのは。
結局『全員が考えている』ということにはならない。

じゃあ全員が考えるにはどうしたらいいのかというと、全員が考えないと解けないような難しい問題を出す。
4人が一生懸命やらないといけないような、なかなか答えが見つからないようなことは、みんなが話し合って考えざるをえなくなる。

前田先生
だからこの本の中で「グループのベストワンを選んでその理由を述べよ。」というのは結構難しいんですよ。

だって選ぶところまでは簡単なんだけども、理由も言わなくちゃいけない。
そうなると、「なんでこのポスターがいいのか。」と説明しないとけなくなると、いろんな視点で見ていかないといけない。

色だとか、見出しだとか、キャッチコピーとか。
そうすると、そこに見えてくるものがたくさんある。

前田先生
「その良さを使って、今度は自分でポスターを作りなさい。」となると、自分で何かポスターじゃなくても、チラシでも音楽でもいいんですけど、何か新しいものを創ろうとしたときに、どういうプロセスで考えればいいのかが分かる。

例えば「一般に流通しているチラシを集めてこよう。」とか。
集めてきて、何人かでどれがいいのか選んで、「良かった理由」をちょっと話し合うというふうにしていくと、
新しいものを創る時には、そういった実際の社会に流通しているものの中からその要素を取り出していくことが出来るようになるわけですよ。

前田先生
そういう学習が必要になってくるから、当然、学習は協働的になっていく。
自分一人だけでは解決できないから。
という感じですね。

まとめ

本の中にもあるように、「評価基準を作る」というのは、何も学校だけに限らないと思います。子どもと関わる全ての人に、また、子どもに限らず、人として生きていく指針のようなもの。それを示してあげる。また、自分でそれを作っていく。そうすることで、少しずつ、でも確実に成長していけるのだと思います。本の中に出てくる、「5つの学習者の教え」は誰にでも活用できるツールなので、ぜひ試してみてはいかがでしょうか。

第2弾はこちら⇒http://kyouikukaikaku-2020.com/2019/11/15/51/
最終弾へ続きます⇒準備中

■ インタビュアー
後藤【元PTA会長】
元PTA会長として、学校現場の現実を目の当たりにし、現在の学校教育について疑問を抱く。自分はPTA会長という立場で何かできることはないのか?と日々、子ども達や先生たちのために奔走。保護者と先生、そして地域の方との橋渡し役として、なくてはならない存在である。彼のおかげで多くの先生たち、保護者が救われている。
■ 執筆者情報
森田恵【元小学校教師】
子どもが好きで、彼らをより笑顔にしたいという思いを抱き、教員を目指す。しかし、挫折。あまりにも上手くいかないことばかりで退職を考えるも、奮闘し、次第に毎日が楽しく変化する。子ども達からも「先生大好き!」と言われる日々を送る。そんな小学校教員時代の経験をもとに、学校現場での悩みを持つ人に役立つことを伝える活動を行っている。現在は海外に移住し、子ども達に日本語を教えたり、日本の文化を伝えたりする活動を行っている。また現地校で日本の教育との違いを学び、それを日本の教育に活かす方法や感じたことを日々発信している。