教師同士で、前提を共有する時

【更新日】 2019年3月30日(土) 主体的・対話的で深い学び
教師同士で、前提を共有する時

共に成長する時代だからこそ、前提の共有が必要。


1.手順の説明


以下において、「まんがで知る未来への学び」の「第2章 学習指導要領※~社会に開かれた教育課程」の要約を行い、それについて批評します。
まず順を追って要約し、必要ならば補足します。

次に重要ポイントを1、2点絞ってピックアップし、それについて自分の視点からコメントし、批評していきます。

主張は論理的に行い、必要に応じて証拠をつけて説明し、最後に全体を要約して結論づけ、まとめていきます。

2.本節のまとめ


・学習指導要領解説の総則編には、新しい時代に必要な教育理念について書かれているので、教師は熟読する必要がある。しかし、教師によって温度差があるのが現状。

・「主体的・対話的で深い学び」は教育の方法であり、理念(どのような教育が必要なのか)の話ではない。
学習指導要領の中心となる理念は、『社会に開かれた教育課程』の実現。※

3.疑問に思ったこと


「(・・・)学習指導要領を、教師は、熟読する必要があるのですが、教師によって温度差があるのが現状ではないでしょうか。」

「新学習指導要領の中心となる理念は、(・・・)『社会に開かれた教育課程』の実現なのです。」

これらの文を重要ポイントして、下記に疑問を示します。

「学習指導要領を熟読している教師はほぼいないといっていいのではないか。そもそも理念を知っている人も少ないのではないだろうか。」

4.学びをどう生かすか


学習指導要領の理念を知っているならば、下記のような状態を見た時に、どうすべきか、何かしらの手立てを調べたり、試そうと思うはずです。

でも、正直、学習指導要領に書かれていることはあくまでも理想であり、それを実現するには現場の教師には時間も足りず、またそれを考える余裕もないのが現状ではないでしょうか。
「もうできたので・・・」
「まだ十分に色も塗ってないでしょ」
「もういいしょ?どーせオレ絵は下手だし」

「どうしたらコンクールに入賞できますか?」
「コンクールに入賞すると点数がよくなりますよね?」
「内申点もあげなくちゃ」
「ぼくにとって表現なんて興味ないから」

(本文中の子ども達との図工の授業でのやり取りからの抜粋。)

これはまさに多くの学校の現実だと思います。
また、こうした場面は、日々学校で起こっています。
興味がないから、やらない。
進学のため、点数のために頑張る。
といった子ども達。

小学生ならまだしも、中学生になると自身にも似たような記憶があります。
口には出さないまでも、「なぜこれをする必要があるんだろう?」という疑問がぬぐえない。
だから表現を楽しもうなんて思いもしない。

ではどうしたらいいのでしょうか?
さまざまなアプローチの仕方があります。

教師によっては、『諦める』という人もいました。
特にベテランの先生の中には、見切りをつけてしまい、やる気のある子たちに力を注ぐという指導。。。
でも、それはやはり納得できません。

教師として、『やる気がないなら仕方がない』と諦めるのは、仕事を放棄していることと同じ。
でも子ども達は、大人も同じですが、興味がなければそこに力を注ぐことは難しいのです。
特にだんだんと理由が欲しくなってくる。
「なぜやらねばらないのか。」
「なぜ今、自分の好きなことではなく、ここにいる必要があるのか。」
口に出すか出さないかの違いはあるにせよ、多くの子ども達が納得せずに取り組んでいるという学級の実態があります。

よく言われるのが、「趣意説明」。
なぜそれをするのか。なぜ今、必要なのか。
そこに子ども達の未来を見せたり、
これを将来、どう生かすのかを示したり、
やることで、どんなことが身につくのかを伝えたり。

子ども達は、特に今の時代、未来に不安をもっています。
しかし、これからの時代はAIの発達により、知識よりも、人間としての能力や感覚といった部分が重視されていく時代。

知識を教えることと平行して、子ども達に未来をみせていく、これからどんな時代になり、どんな選択肢が増え、どんなことが出来るようになるのか。
また、どんな風に生きていくのか。

そういったことを教師が伝えていくことも必要になってきています。
学習指導要領の理念を、「絵に描いた餅」にせず、実践していくには、教師一人の力ではどうにもなりません。
しかし、教師一人ひとりの意識を変えていく必要はあります。

その意識はどう変えていくのでしょうか。
それは例えば、本文中の言葉にもヒントが書かれています。
「なぜ『主体的・対話的で深い学び』なんですか?」
「新しい時代に求められる資質・能力って何?」
「学校と社会が連携・協働するってどういうこと?」
「どんな教育が求められているの?」

といった学習指導要領の文面を読み直し、自分なりの解釈をしておくことは大切なことです。
時間がないとはいえ、学校という組織に属している以上、その根本原理や理念は「なぜ?」と疑問をもって考え、自分なりの解釈を加えておくべきです。

その大前提が学校の教員は持ち合わせていない人も多いと言えます。
提示はされている。でも、読んでいない。
なぜなら…忙しすぎるから。

それはもちろんですが、前提の共有が出来ていない状態では、組織として上手くいきません。
個人個人、各教室がうまくいっていればいい、という時代は終わったのです。

これからは共に成長していく時代。
自分さえよければいい、という考えは捨て、自分も子どもの未来を育てている一人なのだという意識を再度見直していく時です。

時間がなくても、意識は変えることができます。
特に教師は本を読まない人が圧倒的に多いのが現状です。

せめて学習指導要領総則だけでも熟読し、そこに書かれていることを疑問に持ってみませんか。
そしてその上で、自分の前提を作っていくのです。
「当事者」であるという意識を持つということです。

これから驚くほど、目まぐるしく変わっていく時代が訪れます。
その時代を、自分の手で生きていくための力をどうつけていったらいいのか。それを教師が示していくのです。
なぜなら、教師はそれだけ影響力があるからです。

教師のあり方が、子ども達に大きな影響を与えていくのです。
そのことを忘れずに、日々の忙しさから一瞬でも離れて、自分自身に湧いてきた疑問について、考える時間をもってみることから始めてみてはどうでしょうか。

5.まとめ


学校の先生たちには前提の共有が基本的にはありません。
本来はその前提とは「学習指導要領」であったり、 「目指す子ども像」であったりするばずです。

しかし、新学期当初の目標や目的を考える暇もないほどに忙しい日々。
でも、思うのです。
だからこそ、一人でどうにかしようと思うのではなく、教員が一丸となって子どもの未来を考えていくことは大切なことなのではないでしょうか。

それには、流されがちな指導要領に帰るのも、1つの手なのです。
それは形式的な話し合いでなく、もっと具体的で現実的な対話を、教師同士で、また自分自身でよく振り返ってみる時が来ているのだと思います。

なぜなら、日本人は目的意識をはっきりと持ったとき、そしてそれを共有した時、ものすごい力を発揮します。
それを教師自身が見せていきませんか。

 

【参照】
※学習指導要領
文部科学省が、学校教育法施行規則に基づき、学校の教育課程の基準として公示するもの。
全国のどの地域で教育を受けても、一定の水準の教育を受けられるようにするため、各学校で教育課程を編成するための基準を定めています。これを学習指導要領といいます。(本文より以下抜粋)

※「社会に開かれた教育課程」の実現。
1.社会や世界の状況を幅広く視野に入れ、よりよい学校教育を通じてよりよい社会を創るという目標を持ち、教育課程を介してその目標を社会と共有していくこと

2.これからの社会を創り出していく子どもたちが、社会や世界に向き合い関わり合い、自らの人生を切り拓いていくために求められる資質・能力とは何かを、教育課程において明確化し育んていくこと

3.教育課程の実施に当たって、地域の人的・物的資源を活用したり、放課後や土曜日等を活用した社会教育との連携を図ったりし、学校教育を学校内に閉じずに、その目指すところを社会閉じ共有・連携しながら実現させること

(中央教育審議会教育課程部会『次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめ』平成28年)


■ 執筆者情報
森田 恵 【元小学校教師】
子どもが好きで、彼らをより笑顔にしたいという思いを抱き、教員を目指す。しかし、挫折。あまりにも上手くいかないことばかりで退職を考えるも、奮闘し、次第に毎日が楽しく、子ども達からも「先生大好き!」と言われる日々を送るようになる。そんな小学校教員時代の経験をもとに、学校現場での悩みを持つ人に役立つことを伝える活動を行っている。現在は海外に移住し、子ども達に日本語を教え、日本の文化を伝える活動を行っている。また現地校で日本の教育との違いを学び、それを日本の教育に活かす方法や感じたことを日々発信している。