「夢」を与えてくれた子どもたち
私は学生時代、夢や目標を見出せず、
大学卒業後、就職しませんでした。
卒業後は興味を持った仕事があれば、
やってみるものの、夢中になれる仕事がなく、
職に就いては辞めを繰り返していました。
そんな中、「子ども英会話講師」の仕事に出会いました。
「英語が好き」という動機で就いた仕事。
今度はどれくらい続くだろうという不安を抱え、迎えた初日。
「Hello!」と元気に教室のドアを開け、私に気づくや否や、
「あれ、新しい先生? What’s your name?」と
声をかけてくれる子どもたちの無邪気さに一瞬にして引き込まれました。
子どもたちが覚えた英語で自分を表現し、
喜びや達成感、葛藤を味わいながら成長していく姿を通し、
この子どもたちの持つ可能性をもっと引き出したい、
学びを通してより豊かな人生を送ってほしいという想いが、
日に日に大きく膨らんでいきました。
子どもたちに教えたいことが増えれば、増えるほど、
自分の英語力、指導力、教材を生かす力を高めたいという気持ちが強まり、
気がつけば「教育」に夢中になっていました。
昼間は中学校で非常勤講師として働き、
夕方からは子ども英会話講師、
空いている時間は教材研究や他の先生の授業を見学。
教育実践が楽しくて仕方ありませんでした。
追求すればするほど、教育への探究心が深まり、
次第に日本以外の教育現場を見てみたい、
海外での指導法を学んでみたいと思うようになり、
仕事を辞め、オーストラリアに留学することにしました。
オーストラリアの小学校でのパラダイムシフト
オーストラリアでは公立小学校の教員アシスタントをしながら、
幼児教育を学ぶため専門学校に通いました。
オーストラリアの教育現場は発見の連続でした。
今回は2つのエピソードをご紹介します。
【進級について】
幼稚園クラスに何でもよくできるA君がいました。
クラフトでは手先を器用に使って創作し、
ドリルの問題はあっと言う間に解き終わり、
教室でのルールもよく理解していました。
その様子に感心した私は担任の先生に
「あの子は何でもよくできますね」と言うと、
「あぁ、彼はこのクラス2回目だから」と返ってきたのです。
話を聞くと、A君は昨年度、
自分が上手くできなかったことを
もっとできるようになりたいと、
自らの希望で今年は進級をせずに、
もう1回同じクラスで学習することを選択したというのです。
私は幼稚園児が自分で何を学ぶかを判断、決断したこと、
「あえて進級をしない」という選択肢があることに、
強い衝撃を受けました。
【愛を教える】
2月14日、事務員さんが大きな花束をかかえて、教室にやって来ました。
担任の先生のボーイフレンドがバレンタインに花束を送ってきたそうです。
子どもたちの目は花束に釘付け。
先生は花束を受け取り、
抱きかかえたまま子どもたちの前に座り、
「みんな、今日、何の日か知ってる?」
「うん、バレンタインデー!」と、
子どもたちとの掛け合いが始まります。
バレンタインデーについてのやりとりを交わした後、
「メッセージカードをもらったから読むわね。」と、
ボーイフレンドからの甘い言葉が並んだカードを
子どもたちにゆっくりと読み上げました。
読み終わった先生はカードを胸に押し当て、
「これが愛よ」と教えたのです。
人生で初めて受けた「愛」の授業でした。
教師として欠けていたもの
この経験は、私に2つの大きな気づきをくれました。
1つは、子どもたちの目標やゴールを知らないまま、
私は一方的な、自己満足の授業をしていたことです。
A君のように、「何を学びたいのか」「学習してどうなりたいか」、
子どもたちの望む結果を知ることなく、授業をしてきた自分にハッとしました。
子どもたちの目指すゴールを知らないのに、私は何を教えるというのか、
ましてや、なぜ教えることができるのだろう、と思ったのです。
私が教えていたことは私自身が勝手に設定したゴール、
またはマニュアルに定められたゴールであり、
それに子どもをあてはめていたに過ぎなかったと気づきました。
もう1つは、自分が「何を」「どう」教えるかという、
スキルやテクニックを重視していたことへの気づきです。
子どもたちに何か即効性のある指導法はないか、
子どもたち全員に影響を与えるような教材がないかと、いつも探していました。
それが子どもたちのためだと信じていたからです。
ですが、いくら指導スキルを磨き、優れた教材に出会ったとしても
それを用いる「自分自身」が人として未熟であり、
表面的な言葉や小手先の指導を操っているにすぎないのなら、
子どもたちには伝わることは、ごくわずかだということです。
メッセージカードを読み聞かせた先生のように、
自分の内側から溢れ出る感情に素直に、本来の自分を表現し
子どもたちと向き合うことが自分には欠けていました。
教育における「7つの習慣」
この2つの気づきを「7つの習慣」で表現するのなら、
第2の習慣の「終わりを思い描くことから始める」
そして「個性主義と人格主義」にあたると言えます。
私は「7つの習慣」に出会った時に、
教師として上手くいかなかった時の答えが、鮮明に見えた気がしました。
おしゃべりを続ける子どもたちを感情的に怒ってしまったあの時。
「刺激と反応」の間に「スペース」を入れることができれば、
戻ることのない50分間を、もっと有意義な学びの場にできたでしょう。
「もう分からない!やりたくない!」と殻にこもった中3の男子生徒。
私が彼の話をもっと上手く傾聴できていたなら、
彼は途中で投げ出すことなく、最後までやり遂げられたかもしれません。
「7つの習慣」は普遍の原則が書かれています。
著者のスティーブン・R・コヴィー博士はこう述べています。
私たちが抱えている問題、
感じている痛みは普遍的なものであり、
問題の数も、痛みの度合いも増している。
しかしその解決方法は、
歴史の中で長く繁栄した社会すべてに共通する原則、
不変にして普遍の原則、
自明の原則に基づいている。
つまり、正しい原則に基づく生き方を選択することで、
あらゆる問題を解決することができるのです。
この原則は当然、「教育」においても作用します。
私自身、そしてエデュケーションチームが、
「7つの習慣」「リーダー・イン・ミー」を通して体験してきた事柄を、
これからこのサイトで定期的に発信させていただきます。
ぜひ多くの方々にご覧いただき、抱えている問題を解決する糸口になれば幸いです。
”Better late than never”