私は、「すべての子どもが命を輝やかせて生きてほしい、その子がもつ独自の価値を生かして社会に貢献する人生を送ってほしい」という思いで、25年余り学校教育の支援活動に携わってきました。
私自身が中学生の頃、周りには才能豊かな友人がたくさんいました。彼らは放課後にこっそり、自分が創ったものを私に見せてくれていました。
鳥肌が立つほど衝撃的な詩を綴っていた子、笑い転げるほど面白い小説を書いていた子、気持ちが晴れ晴れするような素敵な絵を描いていた子、コツコツコツコツと彫刻刀を動かし見事な模様を机に浮かび上がらせた子・・・。ほんとうに素晴らしい創造物で溢れていました。
しかし、その才能豊かな友人たちは皆、校則で禁止されていた服装や髪型をしていて、事あるごとに先生方とぶつかっていました。
私は子どもながらに、先生方が彼らの素晴らしい創造物を知らずにいるのは勿体ない、見かけはどうしようもない彼らだけれど、その才能を認めてもらえたら何かが変わるのではないだろうかと思ったものです。
残念ながら、その頃の私は無力でした。
その体験は、私の心の奥深くに刻み込まれています。
大人になって、いろいろなご縁に恵まれ、教育現場でコーチングやカウンセリングを活用したコミュニケーションのための実践研修や、「 Leader in Me. 」というリーダーシップを育む学校文化創造プログラムのコンサルティングをさせていただくようになりました。
教育現場での活動と並行して、社会人を対象にした人財育成研修やキャリアカウンセリングを行っているのですが、社会に出た時にリーダーシップが育っていない人がとても多いことに驚きます。
学校現場では何十年も前から(少なくとも私の娘が小学生だった20数年前には既に)、
「子ども達の自主性を重んじよう、主体性を育てよう」と先生方はご尽力されてきたはずなのに・・・。どうした訳なのでしょう。
先生方を対象に「リーダーシップ」の研修をさせていただくと、新任教員からは「これまで、リーダーシップということについて深く考えたことがなかった」という声が多く聞かれます。
そして、新任、ベテランに限らずほとんどの先生が、「リーダーになれるのは一部の特別な人である。リーダーシップを発揮できる人は限られている」と当たり前のように考えていることがわかります。
ほぼ無意識にもっているそのような「ものの見方・考え方(「パラダイム」といいます)」の中で育った子ども達は、やはりほぼ無意識にそのようなパラダイムをもつようになり、「誰もがリーダーになれる」とは考えられなくなります。
「 Leader in Me. 」は、その名の通り「自分の中にリーダーがいる」つまり、誰にでもリーダー性が備わっており、それを育てることができる
というパラダイムに基づいています。
このプログラムの開発者であり、リーダーシップの原則を「7つの習慣®︎」に体系化したスティーブン・R・コヴィー博士の言葉に、「リーダーシップは役職ではなく、選択である。」というものがあります。
私たちは誰でも、日々、様々な選択をして生きていて、その選択の積み重ねが人生をつくっているわけですが、
重大な局面に際した時以外は、自覚的に選択しているとは言えない状態ではないでしょうか。
かく言う私も、25年前に「7つの習慣®︎」に出会うまでは、「〇〇さんが言ったから私はこうしたのに」とか、「〇〇のせいで、私はこんなにたいへんな状況になっている」と、自分の行動や状態が自分の選択の結果だという自覚はありませんでした。
無意識に、自分以外のものに自分の人生を委ねてしまっていたのです。
リーダーシップの本質は「選択」であると理解したとき、
自分がどんな人間でありたいかは自分で選択できる、そのために必要な行動は自分で選択できる、人と接するときの態度は自分で選択できる、そういう一つ一つの選択の積み重ねが、「自分で自分の人生を創っていく」のだということに気づきました。
そうやってまずは、自分自身にリーダーシップを発揮する。
そして、他の人たちとお互いを生かし合うリーダーシップを発揮することで、独りでは味わえない喜びや楽しさを味わい、独りでは成し遂げられないことを為していく。
そういう機会が多ければ多いほど、人生は豊かなものになっていくのだと感じます。
すべての子どもが、「誰もが自分で自分のリーダーになれる。自分には独自の価値がある」と当たり前に思えるようになってほしいと
願っています。
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