テストの結果はただの数値、だということを常に頭に入れておく。
1.手順の説明
以下において、「GRIT~やり抜く力」の「”知能テスト“はまったく信頼できない」の要約を行い、それについて批評します。
まず順を追って要約し、必要ならば補足します。
次に重要ポイントを1、2点絞ってピックアップし、それについて自分の視点からコメントし、批評していきます。
主張は論理的に行い、必要に応じて証拠をつけて説明し、最後に全体を要約して結論づけ、まとめていきます。
2.本節のまとめ
・SAT(大学進学適性検査=知能テスト)のスコアが低かったスコットは、希望していた認知科学プログラムに願書を提出するも不合格。
しかしやり抜く力を信じ、どうしても「知能」を学びたかったので、音楽学部に入学後、心理学部に転部。
卒業時には、「ファイ・ベータ・カッパ」(全米優等学生友愛会)の会員に選ばれる。
・才能を測定するテストはうさん臭く、心理学研究の対象となるものは、テストでは不完全な結果しか得られない。
才能に目を奪われてしまうと、同じかそれ以上に重要なもの、すなわち「努力」に目がいかなくなる。
3.疑問に思ったこと
「体験談から得られる教訓は、才能自体は素晴らしいものだとしても、才能を測定するテストはどれもうさん臭いということ。」
この文を重要ポイントとしてピックアップし、下記に疑問を示します。
「うさん臭いとはどういうことなのだろうか。」
4.学びをどう生かすか
知能テストは日本では、特に発達障がいかどうかの診断に使われることがあります。
言語性知能(VIQ)または、動作性知能(PIQ)のどちらか一方がきわめて高く、その差が大きい時、発達障がいと診断される材料となります。
(その他の判定を照らし合わせて行います。)
しかし、これは天才と紙一重。なぜなら天才はIQ※が高いと言われています。
仮にどちらか一方がきわめて高い時、その数値は天才並みの知能を持ち合わせていると診断されます。
しかし発達障がいと診断され、周囲の人がそういった目でみるようになったら、著者の例のように、「本来はできるのに、この子は学習遅延児だから、または発達障がいだからできない」と判断されて偏見の目でみられてしまうのは、実にもったいないことです。
また親や周りの大人もそういった先入観を持って接するようになってしまいます。
何よりも、その子の人生に勝手にレールをひくようなものです。
本来のその子のよさを見ることをせず、数値だけでその人格すらも判断してしまいかねません。
日本では、そのように診断材料として知能テストが使われているので、仮に知能テストの結果が低かった時、多くの親はショックを受けたり、心配でどうしたらいいのか分からない等、知能テストによって受ける印象で、親もその子を判断しかねないのではないかという印象があります。
また、インターネットや相談所といったところにも、この知能テストの結果に対して多くの相談が寄せられています。
この知能テストにおいて、著者のいうように「うさん臭い」と感じるのは、著者の経験に加え、様々な理由があるからだと思われます。
1つに、知能テストが作られたのはとても古く、1950年~1960年代です。※
また、実際にカナダのウェスタンオンタリオ大学※の学者たちがIQだけでは知能がはかれないとの研究結果を発表しています。
さらにNeuron※の研究発表には、認知能力には少なくとも、短期記憶・言語能力・意味づけの3つが関連していて、そのうちの1つだけでははかりきれないという結果が報告されています。
この研究チームは、知能テストを知能指数の目安に、学校等で行うことは適切ではないと報告しています。
そして、「10万人の脳の能力をテストした結果、たったひとつの普遍的な知性の概念を示すものを見つけることはできなかった」と述べています。
つまり、この知能テストはあくまでも1つの目安として使う程度がちょうどいいのではないでしょうか。
鵜呑みにするから問題が起こってしまう。
自分の子ども、自分が担任した子どもをちゃんとした目でみることができなくなる可能性もあります。
1つの個性として、そういった数値もあるのだというくらいにとどめておくのがちょうどよいのではないでしょうか。
また知能テストに限らず、テストの結果に一喜一憂するのではなく、その結果を見て対策を立てていく。
テストは結果をしるものというより、活用し生かすもの。
そういった在り方が、本来の「テスト」というものの使い方なのだと思います。
そうでなければただの数値として流してしまえばいい。
対策を取らないならば、著者のいうようにただの「うさん臭い」ものとしての価値しかないといっても過言ではないと思います。
5.まとめ
私たちは人間です。
様々な能力があり、1つのものさしではかることができないのは当然です。
仮に知能テストをして診断が出ても、それをうのみにするのではなく、きちんとその子と向き合う。
その意識を大人が持つかどうかで、子どもの人生が全く違くものになるのではないでしょうか。
また、知能テストに限らず、テストと呼ばれるものは学校では日常茶飯事に行っています。
そのテストというものの意味を教師、親は再度考え直してみる必要があるのではないでしょうか。
【参照】
※IQ
Intelligence quotientの略。
知能指数。
実年齢と精神年齢の差をみて、同年齢の中でどのあたりにいるのかを測るというもの。
※カナダ ウェスタンオンタリオ州
1914 年には他州に先駆けて精神薄弱児を含めた特別な児童を対象とする補助学級(Auxiliary Classes)の設置を法定化。
精神薄弱者施策の創始と展開に先駆的役割を果たしてきた州。
※Neuron
https://www.cell.com/neuron/fulltext/S0896-6273(12)00584-3
※mail.online
https://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2250681/IQ-tests-meaningless-simplistic-claim-researchers.html
■ 執筆者情報
森田 恵 【元小学校教師】
子どもが好きで、彼らをより笑顔にしたいという思いを抱き、教員を目指す。しかし、挫折。あまりにも上手くいかないことばかりで退職を考えるも、奮闘し、次第に毎日が楽しく、子ども達からも「先生大好き!」と言われる日々を送るようになる。そんな小学校教員時代の経験をもとに、学校現場での悩みを持つ人に役立つことを伝える活動を行っている。現在は海外に移住し、子ども達に日本語を教え、日本の文化を伝える活動を行っている。また現地校で日本の教育との違いを学び、それを日本の教育に活かす方法や感じたことを日々発信している。