求めているのは「モノ」じゃない?

求めているのは「モノ」じゃない?

欲しいものを手に入れても、満たされない自分の心。


1.手順の説明


以下において、「感動を売りなさい~相手の心をつかむには『物語』がいる。~」の「ストーリーが持つ、実感を作り出す力」の要約を行い、それについて批評します。
まず順を追って要約し、必要ならば補足します。

次に重要ポイントを1、2点絞ってピックアップし、それについて自分の視点からコメントし、批評していきます。
主張は論理的に行い、必要に応じて証拠をつけて説明し、最後に全体を要約して結論づけ、まとめていきます。

2.本節のまとめ


・ストーリーには、(生の事実や証拠を使って)実感を作り出す力、具体的な成果を生み出す力がある。

・人が本当に求めているのは(ヨットや高級車、白い歯、スリムなボディではなく)、満足感や刺激。良い自己イメージ(自己重要感、自分の魅力、自分が良い人であること)を実感し、確認したい。それがストーリーにかかっている。

・ストーリーを増やせば、真の自分を見せられ、コミュニケーションに人間らしさを取り入れることができ、人生や仕事がさらに膨らみを増し、充実する。

・味わいのあるストーリーは、(データとばらばらの事実に満ちている大海原にただよう)私たちに、安全で大切なものとつながる救命浮き輪のような力を感じさせる。

3.疑問に思ったこと


「人が本当に求めているのは、ヨットや高級車、白い歯、スリムなボディではありません。
そうしたものを手にいれたときに自分が感じるであろう満足感や刺激を求めているのです。」

この文を重要ポイントとし、下記に疑問を示します。

「本当に人が欲しいものは、ヨット等ではなく、満足感や刺激なのだろうか。」

4.学びをどう生かすか


著者のいうことが正しければ、人はモノではなく、心の充実など、気持ちが満たされるものを欲しているということです。

それは実際のところ、果たしてどうなのでしょうか。

子ども達を例にとってみます。
我が家の息子はまだ小さいので、おもちゃ屋さんに入ると
「あれも欲しい」
「これも欲しい」
とねだってきます。

(当然、その欲求には答えませんが。。。)

でも、それは一時的なもの。
家に帰ってくれば、絵を描いたり、工作をしたり、走り回ったりと、あれほどほしいと言っいたおもちゃのことなんてすっかり忘れています。

ある時、誕生日などにおもちゃを買ったときのこと。
買った直後はずっと遊んでいます。
しかし…
何日がすると、全く手をつけず、やはり絵を描いたりと自分が充実することに没頭します。

手に入れる前は、もうずっと毎日「ほしい」と言い続けても、手に入れてしまえば、それよりも自分で作り出したもののほうがよっぽど面白いとでもいうように、
すっかり忘れていく。

これは誰しも当てはまるのではないかと思います。

手に入れるまでは、あれこれ想像してワクワクする。
でも実際に手に入ってしまったら…モノはそれで終わり。

でも心が求めていることは、手に入れる前のワクワクは同じ。
でも手に入れた後も、ワクワクがずっと続く。
更に、よりもっと上を目指そうとするからか、よりそのワクワクは大きくなっていく。7

モノよりも、常にワクワクしていられる自分の心を充実させられることの方が没頭できる。
つまり著者のいうように、そういったモノではなく、心の刺激を与えられることを本当は人は求めているのだといいます。

私自身も、教師時代、満たされない自分の心をモノに求めていました。
給料は全て服やアクセサリー、美容等につぎ込み、癒されたと勘違いしていました。
しかし…いつになっても心は満たされず、次から次へと欲しいものが限りなく出てくるのです。
そして常に誰かをうらやみ、自信の持てない日々を送っていました。

その状態は一時的に楽しくても、決して継続するものではなかったのです。
常に付きまとう不安。
「このままでいいのだろうか?」という自分を責める気持ち。

モノは決して満たしてくれません。
自分を満たすものは、モノではなかったのです。

 

また、マズロー※の「5段階欲求」というものがあります。
「人間は自己実現に向けて、絶えず成長する」という仮説をもとに作られたものです。
1.生理的欲求
2.安全の欲求
3.所属と愛の欲求
4.承認の欲求
5.自己実現の欲求

(1から順番に現れていきます。それが満たされると、2→3・・というように次の欲求が現れます。)
(これからもわかるように、人間として最低限みたしたいのは食べる、排せつ等の生きていくのに必要な1の欲求と言われています。)

つまり幼ければ、また様々な経験が少ない場合、または満たされていないと自分で感じていれば、1の生理的欲求が高い状態だと言えます。
まさに私自身は1の欲求から抜け出せなかったのです。
「あの服が欲しい」
「もっと食べたい」
「あれを手に入れたら、きっと幸せになれるはず」
そんな感じでした。

また、別の方面から見てみます。
モノばかり求めている自分にとって衝撃を与えられた言葉でした。
著者が述べている「ストーリーを増やせば、真の自分を見せられ・・・」の部分に関して、同じようなことを述べていた人の言葉です。

DAIGO(メンタリスト)氏が、コミュニケーションに関しての話をしていた時です。
「信頼関係を築きたかったら、まずは自分から自己開示をしよう。」という話をしていました。

これは、自分の外側(モノ)に求めるのではなく、自分の内側(心)にヒントが隠れているということです。
本当に求めていたことは、自分自身で行動するしか方法はないというのです。
しかも、それは自分が一番苦手だと思い込んでいたことでした。

今まで人見知りな私は、初対面であまり自分から自分のことを話しませんでした。
それは、知らない人に自分の話をしてもつまらないと思っていたからです。

でも実際は違っていたようです。
自分のことを話すと、人は安心するそうです。
そして安心した相手には、自分を出しても大丈夫だと思うそうです。

まずは自分が信頼してさらけだす。
それがはじめの一歩だということです。

始めは怖い。
でも、そうすることで満たされていき、マズローの言う欲求の段階が上がっていくと言えます。
子ども達と接する教師や親、保育士などは特にまずは自分自身で自分を満たしてあげるということが必要なのではないでしょうか。
自分以外の誰かにいつまでも満たしてもらうように求めているうちは、それを当然子ども達に提供することは難しいのです。

自分が満たされることで初めて、人にも同じように与えることが出来る。
充実感や刺激といったものを、自前で調達していく。
それが人として成熟していくことであり、人を教える立場にある人間にとっては必須なのではないでしょうか。

これらのように、自分を満たすのは自分であって、他人や物質的なモノではないということではないでしょうか。

5.まとめ


人が本当に求めているもの。
それは物ではなく、それを得た時の充実感や刺激だと著者は言います。
また、世間でも同じように言われていますが、実際はどうしても欲しいモノに固執したり、自分の外側に欲求を求めがちです。

そして著者は言います。
そんな心、自分の内側を満たすのが、それを与えてくれるのが、ストーリーだと言います。
もしその「ストーリー」を自ら創り出し、相手をも感動させることができたら…。
1人でも多くの人を幸せにできるのではないでしょうか。

【参照】


※マズロー
アブラハム・ハルド・マズロー(心理学者)


■ 執筆者情報
森田 恵 【元小学校教師】
子どもが好きで、彼らをより笑顔にしたいという思いを抱き、教員を目指す。しかし、挫折。あまりにも上手くいかないことばかりで退職を考えるも、奮闘し、次第に毎日が楽しく、子ども達からも「先生大好き!」と言われる日々を送るようになる。そんな小学校教員時代の経験をもとに、学校現場での悩みを持つ人に役立つことを伝える活動を行っている。現在は海外に移住し、子ども達に日本語を教え、日本の文化を伝える活動を行っている。また現地校で日本の教育との違いを学び、それを日本の教育に活かす方法や感じたことを日々発信している。