像のように、足に鎖がついたまま、動けないでいませんか?

【更新日】 2019年5月18日(土) 学校の働き方改革と教師の学び方
像のように、足に鎖がついたまま、動けないでいませんか?

今すぐに思い込みを外しましょう


1.手順の説明


以下において、「GRID~やり抜く力~」の「人は「本来の能力」をほとんど生かしていない」
の要約を行い、それについて批評します。
まず順を追って要約し、必要ならば補足します。

次に重要ポイントを1、2点絞ってピックアップし、それについて自分の視点からコメントし、批評していきます。
主張は論理的に行い、必要に応じて証拠をつけて説明し、最後に全体を要約して結論づけ、まとめていきます。

2.本節のまとめ


・ウイリアム・ジェームス(ハーバード大学教授)が「目標の追求において、人びとにどれだけの差が見られるか」という問題を取り上げ、「サイエンス(科学雑誌)」に「人間のエネルギー」という論文を発表。

・調子のよい日と悪い日では、努力の質にどの程度の差があるのかを考察。人間の潜在能力と実際に使っている能力の差は極めて大きい。(能力に限界はあるが)自分の限界に挑戦することもなく、(ごく一握りの並はずれた人びとを除き、)適当なところで満足してしまう。

・1907年に書かれたこれらの言葉は、いまも昔も変わらず、なぜ私たちは、「才能」を重要視するのか?なぜすぐに「能力の限界」だと思うのか?

3.疑問に思ったこと


「なぜ私たちは、これほど“才能”を重要視するのだろうか?(・・・)なぜすぐに、”能力の限界“だと思ってしまうのだろうか?将来何を成し遂げられるかは、努力ではなく才能で決まると考えてしまうのはなぜだろうか?」

これらの文を重要ポイントとしてピックアップしました。
下記に疑問を示します。

「なぜ人は才能を重要視してしまうのだろうか?」

4.学びをどう生かすか


「汝自身を知れ」というアポロン神殿に残された古代ギリシア人の言葉が残っています。

この言葉を「能力の限界」と捉える人もいるのではないでしょうか。
しかし、上記の言葉は、そのまま「自分のことを知りましょう」ということです。
この言葉は、下記のように解釈されます。
人間の理解という大きな理想を語ったものではなく、普段の生活を送る中で自分が立ち向かうところの人間的性質の諸相を知るということ。

たとえば、自身の習慣・道徳・気質を自覚し、自分がどれだけ怒りを抑制できるかを把握する、といったようなことを指しているものである。
(Wikipediaより)

「自身の習慣・道徳・気質を自覚し、自分がどれだけ怒りを抑制できるかを把握する」と書かれています。
つまり能力ではなく、自分自身の性格・感情(またはそのパターン)を把握しましょう、ということです。

しかし実際の社会では、著者のいうように「自分を知りなさい」という時、「自分の能力をわきまえなさい」または「自分の立場をわきまえなさい」といった使い方をされがちです。

実際に学校に勤務していた時、子ども達は「自分には能力がないから」「私にはどうせできないから」とやる前から諦めている子どもがあまりにも多いことがありました。

それは保護者の方から、「どうせできないんだから」「無理よ」「あなたには向いてない」と言われる子がいたり、それまでに学校の先生や大人たちから、“できない”というレッテルを貼られて成長してきた子がたくさんいたという事実があります。

しかし実際はどうかというと、子ども達がチャレンジし、「自分にはできるかもしれない」という自信さえ持つことが出来たら、難なくクリアしてしまうことの方が多かったのです。

ですから、子ども達自身には自分に「才能があるのかないのか」という前提はほとんど関係ないのです。やってみて、できるかできないか。できなければ、どうすればできるようになるのか。
それだけなのです。
その状態で成長していけば、「才能」を重要視することはないのではないでしょうか。

問題なのは、大人の意識です。
多くの大人は今までの経験や多くの人の言葉を鵜呑みにしてきたため、「才能」という言葉をとても重要視しているように思います。
その大人たちの前提が、そのまま子どもへと伝わり、著者がいうように多くの人が「才能」を重要視する結果を招いているのです。

では、その大人たちの意識を変えることは可能なのでしょうか。また、自信をなくし、自分には才能がないと思ってしまっている子ども達の意識を変えることができるのでしょうか。

答えは「できます」。
その根底に必要なのは”自信をつける“という意識です。

イングランド・プレミアリーグのサッカー選手などのコーチングを請け負うリチャード・ニュージェント氏によると、自信とは「脳の構造上、人間が抱くほとんどの感情は20秒~2分の間くらいしか持続されません。よって自信があるという状態も、せいぜい2分以下しか持続しないのです。」と言われます。

ということは、自信とはその時の「気分」とも言えます。
また、「物事が悪い方向に進むのをイメージしているから」不安を感じるのだとも言います。

それまでに「できない」という思い込みの経験が、調子の悪い様々な場面で顔を出し、一瞬で不安に襲われてしまうのです。

教員時代の体育の時間、ついさっきまで自信満々に楽しくサッカーをしていた子が、ボールが取れなくなった状態が続いてからは、一気にテンションが下がり、芝生にゴロゴロしたり、泣きだしたり…というようなことがありました。
そんな時も、その一瞬を教師が見逃さず、自信を持てる言葉をかけたり、「できる!」ということを思いこませることが必要なのだと思います。
さらに、日ごろから様々な偉人の言葉や経験を語ったり、達成感を味わう経験をさせることも大事なことです。

また、ワタナベ薫氏(WJプロダクツ代表取締役㈱)は、「自分は自分」「他人は他人」と思えたときから、自信がついてくる、といいます。
「他人の良い状態の時と、自分の良くない状態を比べることが不公平」ということも言われるように、比べることから自信のなさがおこります。

自信をつけ、自分の能力の限界を決めつけない。
それをまずは大人が実践することで、その姿を見たこともたちは、そんな大人たちと関わった子どもたちは、自信をつけ、自分にはできるのだと思えるのだと思います。

5.まとめ


能力の限界を決めるということは、自分に自信がない状態だともいえます。
特に日本人は子どもの頃から自信がなく、また自分の能力の限界をすぐに決めてしまいがちです。
しかし、像が幼い頃に足に鎖をつけると、力がついた大人になってもその鎖を外せないという思い込みのように、
幼い頃の思い込みが、子ども達の成長を抑え込んでしまうのです。

それをしないためにも、今、大人であるあなたが「思い込み」を外し、自分の能力の限界を決めず、自信を持つことが大人としての責任ともいえるのではないでしょうか。


■ 執筆者情報
meg【元小学校教師】
子どもが好きで、彼らをより笑顔にしたいという思いを抱き、教員を目指す。しかし、挫折。あまりにも上手くいかないことばかりで退職を考えるも、奮闘し、次第に毎日が楽しく、子ども達からも「先生大好き!」と言われる日々を送るようになる。そんな小学校教員時代の経験をもとに、学校現場での悩みを持つ人に役立つことを伝える活動を行っている。現在は海外に移住し、子ども達に日本語を教え、日本の文化を伝える活動を行っている。また現地校で日本の教育との違いを学び、それを日本の教育に活かす方法や感じたことを日々発信している。