好きなことをして生きていこう

【更新日】 2018年9月22日(土) その他
好きなことをして生きていこう

『ソース』
~誰もが信じているウソ“責任感のウソ”~の学びを生かす


1.手順の説明


以下において、『ソース』の「序章~誰もが信じているウソ」、「第3章~責任感のウソ」の要約を行い、それについて批評します。
まず順を追って要約し、必要ならば補足します。
次に、重要ポイントを1、2点絞ってピックアップし、それについて自分の視点からコメントし、批評します。

主張は論理的に行い、必要に応じて証拠をつけて説明し、最後に全体を要約して結論づけ、まとめていきます。

2.本章のまとめ


<序章~誰もが信じているウソ>
・誤った社会通念に従って生きる人生は、どこか無理があり、圧迫感があり、おおらかさも情熱も創造性も失ってしまう。またイライラしたり、怒りっぽくなったり、無感動だったり、なんとなく不満だったりと、毎日の生活が満たされず楽しくない。

・持って生まれたワクワクに従って生きれば、自分にふさわしい人物や状況が現れ、プライベートな生活と境界がなくなるほどの楽しい仕事ができる。また精神的な満足感を成功の基準とし、無条件に人や社会に与え、右脳を活用して直感にしたがった生き方ができる。

<第3章~責任感のウソ>
・人が取るべき責任ある行動、その人が追う最高の責任は、自分が心からしたいこと※をすること。それを充分に生活の中で生かしきり、社会や人類に貢献することがこの世に生を受けた、あなたの存在意義。

・社会責任とは「家族や会社が期待することをすること」だと教えられ、大好きなことだけをすることは社会では無責任だという。それは罪悪感にもとづいていて、恐れの感情※に根差している。

・自分自身に無責任な人(憂うつ、イライラ、怒り、恨み、不満、空しさなどが漂い、周りの人にも伝わる)は、家族や友人、仕事、ペットにさえ、責任をもつことができない。

3.疑問に思ったこと


「世間のいう責任感の問題点は、それが罪悪感にもとづいている点です。罪悪感は恐れの感情に根差しています。」
「自分が大好きなことだけをするのは無責任だという」
これらの文をピックアップして重要ポイントとします。

これらをふまえ、下記に疑問を示します。

「なぜ多くの人が、“自分の大好きなことだけをするのは無責任だという”ことを信じて疑っていないのだろう。またなぜこのような考えが多くの人に根付いているのだろうか。」

4.学びをどう生かすか


「大好きなことだけをするのは社会では無責任だという」言葉に衝撃を受けました。
なぜなら私自身もそう思っていたからです。
好きなことをするには常に「これをしてもいいのだろうか?」という罪悪感がつきまとい、それに耐えらえなくなり、社会と同化していった経験があります。

つまり大好きなことを捨て、社会のいう「責任」を果たすことに力を尽くしていきました。結果は…さんざんなものです。

ネット上の情報、書籍を探していると、まだまだ「大好きなことだけをするのは無責任」という声が聞こえるし、言葉に出さなくても多くの人との会話の中や表情に「好きなことだけしてていいの?」「大丈夫?」という言葉が聞こえてきます。

しかし実際に大好きなことだけをして、とても幸せだという友人がいます。
お金にも苦労せず、常に周りに人が集まり、彼を求めて人やモノが集まってくる。
本当に大好きなことだけをしているから、いつも笑顔で楽しくて、それが周りの人をも幸せにしてしまうのです。

「こんな生き方が出来たら最高だ。」と私を含め、多くの友人が口をそろえて羨ましがっていました。
このように私たちはまさに、社会通念に惑わされ、疑いもなく信じてきてしまったのがこの、人を羨ましがっている状態で、なにもしていない現状です。

しかし、本当に幸せな人たちは「好きなこと」をして生きているのです。
ベストセラーになった『ユダヤ人大富豪の教え』(本田健)の中でも、「自分を知り、大好きなことをやる」とお金持ちになると書かれています。

しかもベストセラーになっているので、この本は多くの人に読まれいるはずです。
それでも多くの人は「好きなこと」をせず、それは本の中だけの話だと実際に本気で行動することはなかったのではないでしょうか。
また行動に移した人がいるかもしれませんが、現実的に上手くいかず結局、未だに社会のいう責任を果たすことに一生懸命になっているのではないでしょうか。

ではなぜ「好きなこと」が出来ないのか。それは育ってきた環境だったり、学校教育だったり、またはやったことがないことへ飛び込む勇気がなかったり(前例があれば飛び込めるけど、自分が初めてだと恐怖が生まれやすい)理由は様々だと思います。
著者のいうように、言い訳は果てしなく出てくるのです。

このままでいいならば、ひたすらに「社会のいう責任」を果たして人生を過ごしていけばいいと思います。
しかし現状を変えたいのなら著者が述べているように、好きなことをしてけばいいのではないでしょうか。
そこに飛び込むには相当の勇気が必要です。
でも、やらなければそのまま一生今と変わりません。

自分の人生の責任は、自分の意志で果たしていきたい。そう、私は思います。

とはいっても…と恐らく行動できない人は多くいるのではないでしょうか。
すぐに行動できる人が多ければ、現実の社会通念(ここでは「大好きなことだけするのは無責任」)はとっくに壊れ、「大好きなことだけ」して幸せな人が多く存在している世の中になり、それが新たな社会通念になっているはずです。

恐れを取り除くのは容易ではありません。
しかし、何かの縁で知ったこの「大好きな」ことで生きていくということ。
ぜひ多くの人の通念を覆し、実践してもらいたいと思います。

5.まとめ


私はもっと早くこのことを知っていたらどんなに良かったことか…。
なぜなら、我慢や忍耐が美徳だと勝手に決めつけていたからです。

その決めつけを持ったまま、教師として、子ども達と接していたのです。
当然、子供にも「楽しいこと、好きなことばかりして生活はできない」と言葉に出さなくても、心でそう思っていたことは事実です。
もちろん、夢は応援していました。
しかし自分がそれを実践できていなければ、それは綺麗ごとに過ぎないのではないでしょうか。

子どもには毎日語ってあげてください。
「自分が心からしたいことをしよう。それがあなたの責任なのだから。」と。

【参照】


※社会通念
大半の人たちが受け入れられ信じている考え方。

※誤った社会通念
著者の言う「誤った社会通念」は、現代の高度に発達した産業社会の世界観を反映、物質主義、消費主義、金、名声、権力という空しい成功観に裏付けられている。

※自分が心からしたいこと
生まれながらのワクワクを追及し、夢中になれること

※恐れの感情
世間の期待することをしないと、誰からも好かれない、怒られる、お金を稼げないのではないか


■ 執筆者情報
meg【元小学校教師】
小学校教員の経験をもとに、学校現場での悩みを持つ人に役立つことを伝える活動を行っている。