言葉を定義する「癖」をつけると、分かりやすく話せるようになる

言葉を定義する「癖」をつけると、分かりやすく話せるようになる

『まんがで知る 教師の学び』の「第1章「そもそも思考」で考えよう」の気づきを生かす


1. 手順の説明


以下において、「まんがで知る 教師の学び」の「第1章『「そもそも思考」で考えよう』」の要約を行い、それについて批評します。

まず順を追って要約し、必要ならば補足します。
次に重要ポイントを1、2点絞ってピックアップし、それについて自分の視点からコメントし、批評していきます。

主張は論理的に行い、必要に応じて証拠をつけて説明します。
最後に、全体を要約して結論づけ、まとめます。

2. 本章のまとめ


この本の章をまとめると、

・「それは、そもそも何なのか」ということを常に自分で考え、意識することでその「本質」が見えてくる。
・常に何かに気づこうとして、自分を変えようとすれば、子ども達の見え方も違ってくる。

となります。

3. 疑問に思うこと


「常に何かに気づき自分を変えようとすれば、ものの見え方や捉え方が変わってくるのです。」
「そう考えると、何よりも教師自身が学ぶことが問われているのではないでしょうか。」

という2文を本文からピックアップし、重要ポイントとしました。

これをふまえ、下記を問題提起とします。

「筆者の言うように、本質から外れた行動や見方をしていては、常に独りよがりの学級経営になってしまい、自分自身も変化しない。

それならば気づきの時間、言葉の定義を考える時間を「意識的に」取っていく必要があるのではないか。ではその時間をいつ、どのように取ることが可能なのだろうか。」

4. 学びをどう生かすか


著者の「それはそもそも何なのか」を定義するという提案に賛成です。
というのも私たち大人は特に「それは何なのか」ということをじっくり考えるところに意識を持たず、目の前のことをこなすことに精一杯です。
また「どうやるか」にばかりに目がいきがちなのではないでしょうか。

逆に、子どもたちは「どうして?」「何で?」と無意識にその本質をみています。

その本質への問いを摘んでいるのは大人です。
それならば、教師を含めた大人たちが意識して「言葉」に目を向けると、必然と子ども達の意識も言葉に向います。
また同時に子ども達への見方も、「意識」一つで変わってきます。

著者は本の中で、「『そもそもそれは何なのか』を考えよう」「気づこうとして、自分を変えよう」と薦めています。

しかし「そんな時間があるのなら教育技術※を習得したい」「そんなこと分かっていても時間がない」「言葉の意味付けをして何になるのか、調べればすぐにわかることだ」「面倒くさい」等の反論もあります。

しかしそのような考えを持っていると、目の前のことを正確に把握できません。
本質を見ようとしないので、だんだんと目の前のことを「こなす」だけになってしまう恐れがあります。

もし今、私が現役で日本で教員をしていたらどうするか。
先生たちは毎日忙しいのです。
まずは1日5分だけ、言葉と向き合う時間を取ってみます。
慣れないと今までしていなかったことをいきなりすることは出来ません。
小さな一歩を踏んでいきます。

まずは本文にも書かれていたように「学ぶ」の定義を考えてみてはいかがでしょうか。

私の定義は「好奇心の向いた方向に意識を向け、新しい見方、世界が広がっていくこと」と定義しています。
本文中には「学ぶ」の定義は「何かに気づき 自分が変わること」と書かれています。

ちなみに私はこの「言葉を定義する」ことも、「学ぶ」ことであると考えています。
言葉を定義しようとした時、自分の中でしっくりとくる言葉の意味を考え、観察し、思考を巡らせていきます。
そして腑に落ちた言葉を見つけられると、そこには新たな価値観や見方が自分の中に広がっていくのです。

このようにまずは意識的に気付きの時間、言葉を定義する時間を作ることは必要なことなのです。

5. まとめ


気づきの時間、言葉の定義を意識する時に、学校の研究授業の提案文章等を見ても面白いです。
文部科学省から出ている文章、定義されているものを参考にしてみてもみても良いと思います。

「学習指導要領」「発達障害」など、自分で定義せずに受け売りの言葉が多いことに驚くはず。
また、自分の定義を持っている人の話はとても分かりやすいと感じます。
常に言葉に意識を持ち、思考の癖がついているからなのでしょう。

この「言葉の定義をする」ことはコミュニケーションにおいても必要な要素であると思っています。


■ 執筆者情報
meg【元小学校教師】
小学校教員の経験をもとに、学校現場での悩みを持つ人に役立つことを伝える活動を行っている。