南の島からの働き方改革通信(6月25日号)
【シリーズ:子どもも教師も、なぜバランスを崩すのか】
第1回:見えていなかった「違和感」――沈黙する心の傷つき
部活動を担当しない教員生活は、私の世界を一変させました。組合主催の勉強会や情報交換の場に参加することで、働く私たちを守るルールや、自由で率直な教育観を語り合える意義に気づくことができました。
県内外の先生方とつながることで、所属校の「常識」に縛られない実践例を知ることができました。法的根拠のない通知表の作成、煩雑な事務処理、時間外勤務が前提となっている会議や行事準備の異常さにも気づくことができました。
そして、学校に根強く残る古い文化――強制的かつ罰則付きの家庭学習、形だけの挨拶運動、機能性を無視した制服の着用強制――が、次々と違和感を伴って浮かび上がってきました。
そのとき私は、こうした制度や慣習に対して苦しさを感じているのは、子どもだけでなく、教師自身も同じなのだと気づきました。そして今、自分の目の前に開いた扉の先に、子どもたちの学ぶ権利と、それに伴走する教師の責任と喜びがあるのだと実感しました。
次回は、子どもも教師もバランスを崩してしまう「5つの背景」について、具体的に整理していきます。