教師は「今」にいるようで、いない
時間の中で働きすぎている私たちへ
授業中、子どもを見ている。
でも同時に、
次の時間割を考えている。
提出物の確認を思い出している。
放課後の会議を気にしている。
私たちは「今」に立っているようで、
実は少し先の時間に足をかけています。
それは、教師に必要な力
先を考える力は、
教師にとって欠かせません。
見通しを持つ。
段取りをする。
予測する。
この力があるから、
授業は成り立ちます。
教室という場所は、
ある意味で「未来設計」の場でもあります。
だから私は、
単純に「今ここにいましょう」と
言いたいわけではありません。
未来を考えることは、
教師の大切な仕事の一部です。
ただ、最近ふと感じることがあります。
問題なのは、
未来を見ることではなく、
そこに居続けてしまうこと
なのかもしれない、と。
時間に引っ張られる身体
次のことを考え続けていると、
身体は少しずつ落ち着きを失います。
呼吸が浅くなる。
声が急ぐ。
視線が忙しく動く。
自分では落ち着いているつもりでも、
どこか余裕がない。
それは、能力の問題ではなく、
時間の使い方の問題かもしれません。
最近、自分自身でも
少し不思議な感覚があります。
今やっていることに意識を戻すと、
時間の流れが少しゆっくり感じられる瞬間がある。
周りの音や空気が、
少しだけはっきり感じられる。
大げさな変化ではありません。
でもそのとき、
焦りの感覚は消えています。
「今にいる」とは、止まることではない
今にいるとは、
未来を考えないことではありません。
未来を捨てることでもありません。
今にいるとは、
今を起点に未来を見ること。
背骨があると、
身体はここにあります。
身体がここにあると、
思考は自由に前にも後ろにも動けます。
未来を考えることもできるし、
過去を振り返ることもできる。
でも、戻ってこられる。
これが、とても大きい。
教室に起きる変化
教師が今にいるとき、
教室の空気は少し変わります。
急がない声。
揺れない視線。
必要以上に追い立てない空気。
子どもは、
言葉より先にその状態を感じ取ります。
「落ち着いている先生のクラスは落ち着く」
よく聞く言葉ですが、
それは指導力だけの問題ではなく、
状態の問題なのかもしれません。
今日できる小さな実践
授業の始まりに、
ほんの10秒だけ。
黒板の前に立ち、
何も言わずに一度息を吐く。
足の裏を感じる。
背骨が縦に通っている感じを、なんとなく感じる。
それから、話し始める。
それだけで、
1時間の質が変わることがあります。
私たちは、未来のために働いている。
でも、
子どもが生きているのは「今」です。
その今に、
自分の身体がちゃんとあるか。
背骨の話は、
姿勢の話だけではなく、
時間の話でもあるのかもしれません。
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■ 執筆者情報■森田恵
子どもが好きで教員を目指すが、挫折。退職を考えるも奮闘し、次第に毎日が楽しく、子ども達からも「先生大好き!」と言われるように。そんな教員時代の経験をもとに、悩みを持つ人に役立つことを伝える活動を行っている。結婚を機に、渡米。10年の小学校教師の経験を活かし、渡米後は日本語の家庭教師や、現地校にて日本の文化を伝え、日本語を教えて過ごす。現在3児のママ。2度の流産経験により、食や環境、ママの状態が子どもへ与える影響などに興味を持つ。さらに、意識によってもたらされる変化を日々、体感を通して実践している。