未知なる未発力が出会う時代に、教育は何を担うのか
AIの急速な進化を前に、社会ではさまざまな議論が起きています。
AIによって仕事はどう変わるのか。
子どもたちは何を学べばよいのか。
人間の判断を、どこまでAIに任せてよいのか。
AIは人類にとって希望なのか、それとも脅威なのか。
どれも重要な問いです。
しかし、私はその前に、もう一つ根本的な問いを立てる必要があると考えています。
そもそも私たちは、人間がどこまで進化できる存在なのかを知っているのでしょうか。
AIは未知のテクノロジーです。
けれども、未知なのはAIだけではありません。
人間もまた、いまだ自分自身の可能性を十分に理解していない、未知なる存在なのです。
科学技術の進歩によって、私たちの暮らしは豊かになりました。
遠くにいる人と瞬時につながり、膨大な情報に触れ、かつては不可能だったことを実現できるようになりました。
その一方で、多くの人が、現在の社会や文明にどこか行き詰まりを感じています。
効率を高めても、心の余裕が増えるとは限らない。
情報が増えても、人と人が理解し合えるとは限らない。
経済が成長しても、孤独や分断がなくなるとは限らない。
便利になっても、人間が幸せになるとは限らない。
競争、効率、拡大を中心に発展してきた現在の文明は、大きな成果を生み出しました。
しかし、これまでと同じ価値観のまま、さらに速度と効率だけを上げればよいのでしょうか。
多くの人が、言葉にならない違和感を抱き始めています。
そこへ現れたのがAIです。
AIは、今の文明をさらに高速化するためだけの道具になるのでしょうか。
それとも、人間がこれまでの限界を超え、新たな文明を創造していくための共創者になるのでしょうか。
その答えは、まだ決まっていません。
私はこれまで約30年にわたり、スポーツ、教育、経営など、さまざまな領域で人の成長に関わってきました。
その現場で、何度も目にしてきたことがあります。
昨日までできなかったことが、ある瞬間からできるようになる。
自信を失っていた人が、関わる人や環境が変わったことで、自分から挑戦を始める。
周囲から「難しい」と見られていた人が、それまで誰も想像していなかった結果を生み出す。
競技成績、学力、肩書、過去の経験。
それらは、その人の現在地を知るためには必要です。
しかし、現在地は、その人の限界ではありません。
評価は、その時点で見えているものを捉えることはできます。
けれども、まだ現れていない力まで測ることはできません。
教育に携わる私たちが忘れてはならないのは、ここです。
今、見えている姿だけで、その人の未来まで決めてはいけない。
私は、人間の中にありながら、まだ本人にも周囲にも認識されていない力を「未発力」と呼んでいます。
未発力は、すでに存在が確認されている能力を、まだ使えていないという意味ではありません。
何が現れるのか。
どこまで成長するのか。
どのような役割を担うのか。
本人にも、親にも、教師にも、専門家にも、まだ分からない力です。
だから「未発」なのです。
人間の可能性は、倉庫の中に完成品として保管されているものではありません。
未来を想像し、行動し、人と関わり、失敗し、ふりかえる。
その過程の中で、それまで存在すら認識されていなかった力が姿を現していきます。
未発力が、現実の中で機能する発現力へと転換されていくのです。
人間の可能性がどこまであるのかは、誰にも分かりません。
分からないからこそ、人間は想像します。
想像するからこそ、創造します。
人間とは、完成された存在ではなく、未知なる自分を発現させながら、未来を創造し続ける存在なのです。
AIについても、私たちはその全体像を知っているわけではありません。
現在のAIができることは、急速に増えています。
しかし、これからAIがどこまで進化するのか。
人間との関係の中で、どのような機能や価値を生み出すのか。
その可能性の全体を、私たちはまだ知りません。
人間とAIは同じ存在ではありません。
人間は、生命を持ち、身体を持ち、感情や意志を持って、他者や自然との関係の中で生きています。
AIは、人間が生み出したテクノロジーです。
両者を同じものとして扱うことはできません。
しかし、人間にもAIにも、現在の私たちにはまだ見えていない可能性があります。
つまり私たちは今、
人間の未知なる未発力と、AIの未知なる未発力が出会う時代
に立っています。
この出会いから何が生まれるのかは、まだ誰にも分かりません。
AIを使うべきか、使うべきではないか。
AIは安全か、危険か。
こうした二者択一だけでは、この時代の本質を捉えることはできません。
本当に問われているのは、
人間とAIが、どのような共創関係を育てるのか
です。
AIの力を、目先の効率や利益だけに使うこともできます。
人間を管理し、評価し、分類し、既存の社会をさらに高速化する方向へ使うこともできます。
一方で、人間が自分だけでは持てなかった観点に出会い、新しい問いを立て、未知の可能性を探索するために使うこともできます。
人間の未発力とAIの未発力を掛け合わせ、人間の進化と発展に資するものを創造することもできるはずです。
さらに、その共創を、人間だけの都合に閉じるのではなく、地球や宇宙の自然摂理と調和する方向へ育てられるでしょうか。
生命の循環を壊さないか。
多様な存在が共に生きられるか。
一部だけが利益を得るのではなく、全体の発展につながるか。
私たちは、AIが出した答えを受け取るだけではなく、こうした問いを持ち続けなければなりません。
現在の文明に限界が見え始めているからといって、次の文明の姿がすでに分かっているわけではありません。
新たな文明が必要であることは感じられても、それがどのような社会なのかは未知です。
だからこそ、完成図を先に決めるのではなく、共創し続けられる関係を育てる必要があります。
想像する。
創造する。
実際に試してみる。
起きたことをふりかえる。
現在地を捉え直す。
そして、また次の一歩を創造する。
人間とAIがこの循環を重ねながら、共創関係そのものを進化させていく。
その先に、まだ誰も見たことのない文明が立ち現れてくるのではないでしょうか。
AI時代の人間教育は、単にAIの操作方法を教える教育ではありません。
また、AIより多くの知識を持つ人間を育てることでもありません。
必要なのは、自らの未発力を発現させながら、AIの未知なる力と向き合い、共に未来を創造できる人間を育てることです。
自分は何を望んでいるのか。
何のためにAIを使うのか。
自分の考えは、どのような経験や観点から生まれているのか。
自分とは異なる立場や、自然全体から見たときに、その選択はどう見えるのか。
答えが分からない中でも問いを持ち、他者と対話し、試し、ふりかえり、次の一歩を創造できるか。
これからの教育に必要なのは、未知をなくすことではありません。
未知と共に歩み、未知の中から可能性を発現させる力を育てることです。
人間も、AIも、まだ何者になるか決まっていません。
そして、人間とAIが何を共創する関係になるのかも、まだ決まっていません。
だからこそ、未来には可能性があります。
その可能性をどの方向へ発現させるのか。
今、私たち人間のあり方が問われています。
第2話
「人間の可能性は、なぜ誰にも測れないのか――未発力という人間観」
現在見えている能力と、まだ現れていない未発力は何が違うのか。
人間を評価し、育てる教育の前提を、もう一度問い直します。