前回は、私たちが現実をどのように受け取り、自分の内側で何を語るかという「自己内対話」が、未来の選択を方向づけていることをお伝えしました。
では、その自己内対話は、どこから生まれるのでしょうか。
なぜ、同じ出来事に直面しても、挑戦へ向かう人と、可能性を閉じてしまう人がいるのでしょうか。
なぜ、努力しているのに力が発現しない人がいる一方で、環境や関わり方が変わっただけで、急に生き生きと力を発揮し始める人がいるのでしょうか。
その違いを読み解く鍵が、
構造
です。
私は、人間の成長を考えるうえで、
構造が機能を決める
という原理を大切にしています。
人間の力が発現するかどうかは、本人の才能や努力だけでは決まりません。
その人が、どのような身体、自己内対話、関係性、環境、場の中にいるか。
その構造によって、現れる機能が変わるのです。
人が望む結果を出せないとき、私たちは本人の努力不足を疑いがちです。
もっと頑張るべきだ。
意識を高く持つべきだ。
やる気を出すべきだ。
根性が足りない。
しかし、本当に努力の量だけが問題なのでしょうか。
たとえば、扉が閉まっているのに、力を込めて前へ進もうとしている人がいたとします。
どれだけ力を加えても、扉が開かなければ前には進めません。
このとき必要なのは、さらに強く押すことではなく、
扉がどのような構造になっているのかを見ることです。
押す扉なのか。
引く扉なのか。
鍵が掛かっているのか。
そもそも別の入口があるのか。
人間の成長も同じです。
努力しているのに変化が起きないときは、努力が足りないのではなく、
力が発現しにくい構造の中で、努力を続けている可能性
があります。
構造と機能の関係は、身体を見ると分かりやすくなります。
身体が過度に緊張し、呼吸が浅くなり、重心が不安定になっている状態で、本来の力を発揮することは簡単ではありません。
「力を抜いてください」
と言われても、本人は力を抜いているつもりかもしれません。
それでも緊張が取れないのは、意識や努力だけの問題ではありません。
身体そのものが、力を抜きにくい構造になっているからです。
骨格の位置が整う。
重力を自然に受け取れるようになる。
呼吸が深くなる。
必要のない緊張がほどける。
すると、無理に頑張らなくても、身体が自然に機能し始めます。
出せなかった力が出る。
見えなかったものが見える。
感じ取れなかったものを感じられる。
これは新しい能力を外から付け加えたのではありません。
構造が整ったことで、もともと未知だった未発力が、機能として現れ始めたのです。
自己内対話も、本人の性格だけから生まれているわけではありません。
家族の中で、どのような言葉を受け取ってきたか。
失敗したとき、どのように扱われたか。
自分の意見を表現したとき、受け止めてもらえたか。
周囲の期待に応えることで、認められてきたか。
学校や職場で、比較や評価をどのように経験してきたか。
こうした関係性の積み重ねが、自分の内側に対話の型をつくります。
「失敗してはいけない」
「期待に応えなければならない」
「人に迷惑を掛けてはいけない」
「自分の考えを言うと嫌われる」
「自分には価値がない」
こうした自己内対話が繰り返されていると、新しい可能性に向かう前に、自分で選択肢を閉じてしまいます。
本人の意志が弱いのではありません。
そう考え、そう行動しやすい構造が、内側にできているのです。
子どもが行動できないとき、
「やる気がない」
と判断することがあります。
部下が意見を言わないとき、
「主体性がない」
と評価することがあります。
挑戦を避ける人を見て、
「臆病だ」
と捉えることもあります。
しかし、表面に現れている行動だけを見ても、その人の全体は分かりません。
意見を言っても否定される場にいれば、人は黙るようになります。
失敗を責められる場にいれば、人は安全な選択をするようになります。
何をしても評価されないと感じていれば、挑戦する意味を失います。
人の行動には、それを生み出している構造があります。
だから教育者やリーダーに必要なのは、目に見える行動をすぐに評価することではありません。
この行動は、どのような構造から生まれているのだろう。
と見立てることです。
構造を見ることができれば、人を責める前に、何を変えればよいのかを考えられるようになります。
教育や組織の中では、しばしば「人を変えよう」とします。
もっと積極的になってほしい。
主体的に動いてほしい。
自信を持ってほしい。
協力し合ってほしい。
しかし、本人に変化を求めるだけでは、なかなか変わりません。
なぜなら、その人を取り巻く構造が変わっていないからです。
失敗すると責められる場で、
「挑戦してください」
と言っても、人は動けません。
意見を言うと否定される場で、
「主体性を持ってください」
と言っても、言葉だけでは変わりません。
互いを信用できない場で、
「協力しましょう」
と呼び掛けても、協力は生まれにくいでしょう。
変えるべきなのは、人だけではありません。
人が力を発現しやすい関係性、問い、役割、環境、場の構造をつくることです。
構造が変われば、人に求めなくても、機能が自然に変わり始めます。
AIについても、同じ原理が当てはまります。
AIには多くの機能があります。
しかし、その機能が何を生み出すかは、AIの性能だけでは決まりません。
どのような目的で使うのか。
どのような問いを与えるのか。
誰が、どのような価値観を持って使うのか。
どのような組織や社会の中に導入されるのか。
どのような情報を基に判断するのか。
その構造によって、AIの機能は変わります。
競争と効率だけを目的とする構造の中で使えば、AIは人間を比較し、管理し、仕事を高速化する方向に機能するでしょう。
人間の未発力を発現させることを目的とする構造の中で使えば、AIは問いを深め、観点を広げ、創造を支援する方向に機能できます。
分断を前提とする構造の中では、AIは分断を増幅するかもしれません。
信頼と共創を前提とする構造の中では、AIは人と人の知恵をつなぐ可能性があります。
AIが未来を決めるのではありません。
AIがどのように機能する構造を、人間がつくるかが未来を決めるのです。
人間の未発力と、AIの未知なる未発力が出会ったとき、何が生まれるかは決まっていません。
人間の依存を強める関係になることもあります。
判断をAIへ預け、人間が考えることをやめる関係になるかもしれません。
既存の競争や支配を、さらに強化する関係になる可能性もあります。
一方で、人間が自分だけでは持てなかった観点に出会い、新たな問いを立て、自らの未発力を発現させる関係にもできます。
人間とAIが互いの未知を探索し、まだ存在しない未来を共に創造する関係にもできます。
その分岐を決めるのは、
どのような共創構造をつくるのか
です。
新たな文明が必要であることは、多くの人が感じ始めています。
しかし、次の文明の完成図は、まだ誰にも分かりません。
だからこそ、私たちは完成した答えを先に持つのではなく、方向性を確かめながら構造を更新し続ける必要があります。
その構造は、人間の目先の利益だけを目的とするものではありません。
人間の進化と発展に資するか。
人間の未発力を閉じるのではなく、発現させるか。
他者や社会との関係性を豊かにするか。
地球の生命循環を損なわないか。
宇宙を含む自然摂理と調和する方向へ向かっているか。
こうした問いを持ちながら、人間とAIの関係構造を創造していくことが必要です。
教育とは、知識を与えることだけではありません。
正しい行動を教え込むことだけでもありません。
人間の中にある未知なる未発力が、発現力へ転換される構造をつくることです。
安心して挑戦できること。
失敗から学べること。
自分の考えを表現できること。
異なる観点を持つ人と対話できること。
自分の現在地を捉え直せること。
未来を想像し、はじめの一歩を選べること。
人と人が互いの可能性を信じられること。
そうした構造の中で、人間は自ら育ち始めます。
教育者が人の可能性を直接つくるのではありません。
人間が本来持つ未知なる未発力が、自然に発現しやすい構造を整えるのです。
結果を変えたい。
行動を変えたい。
人を変えたい。
社会を変えたい。
そう願うとき、私たちは目に見える機能や結果だけを変えようとします。
しかし、その機能を生み出している構造が同じであれば、やがて元の状態へ戻ります。
未来を変えたいなら、構造を見る。
身体の構造。
自己内対話の構造。
関係性の構造。
学びの構造。
組織の構造。
AIとの関係構造。
構造が変われば、機能が変わります。
機能が変われば、未発力が発現し始めます。
そして、人間が創造する未来も変わっていくのです。
未来は、表面の行動を変えることからではなく、その行動を生み出している構造を変えることから始まります。
第6話
「教育は、可能性を測るのではなく信じる」を読む
教育の中では、評価や測定が欠かせません。
しかし、現在見えている能力を測ることと、その人の未来の可能性を決めることは同じではありません。
第6話では、未発力という人間観に立ったとき、教育に必要な評価と信頼の関係を考えていきます。